さ
前九年の役(ぜんくねんのえき)
永承6年(1051)から康平5年(1062)にかけて、陸奥の豪族安部頼時とその子貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らが起こした叛乱を、朝廷が源頼義・義家を派遣して平定させた戦役。のちの後三年の役(1086‐87)とともに源氏が東国に勢力を築くきっかけとなった。
し
鹿ヶ谷事件(ししがたにじけん)
1177年(治承1)後白河法皇の近臣が平氏打倒を企てた陰謀事件。
藤原成親(なりちか)・同師光(もろみつ)(西光)・俊寛(しゅんかん)らが京都東山鹿ヶ谷の俊寛の山荘で平氏討伐の謀議をした事件。多田行綱の密告によって発覚し、師光は死罪、成親は備前国に、俊寛らは九州の南の果ての鬼界ヶ島に配流された。
治承三年の政変(じしょうさんねんのせいへん)
治承3年(1179)11月、平清盛が軍勢を率いて京都を制圧、後白河院政を停止した事件。
す
せ
関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
慶長5年(1600)関ヶ原で、石田三成らの西軍と、徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。
小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝し、石田三成らは処刑され、豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立したことから「天下分け目の戦い」といわれる。